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高野 素十

(たかのすじゅう)

素十・虚子・みづほ句碑 (白山公園内)

素十・虚子・みづほ句碑 (白山公園内)

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1893(明治26)年3月3日〜1976(昭和51)年10月4日
本名與巳(よしみ)。茨城県北相馬郡山王村に生まれました。旧制長岡中学校から旧制第一高等学校、東京帝国大学医学部へ進みました。
1932(昭和7)年7月、新潟医科大学助教授として赴任。1953(同28)年9月、奈良医科大学教授に転出するまでの21年間、新潟大学で教授、学長、名誉教授として務めました。
1923(大正12)年から素十は本格的に俳句を始め、高浜虚子に師事し「ホトトギス」同人となりました。阿波野青畝、水原秋桜子、山口誓子と共に4Sといわれ、ひとつの時代をつくりました。素十の号は、虚子が「素質十分である」ということで与えたといいます。
水原秋桜子がホトトギスを離れ「馬酔木(あしび)」を創刊、独立をはかったのは、虚子が素十をより高く評価し、芸術の真より素十の求める自然の真の客観写生句を重視したからと言われています。
「まはぎ」は1929(昭和4)年に、浜口今夜、中田みづほによって亀田町(現江南区)で創刊されましたが、素十は1932(同7)年頃から参加しました。門人に長谷川耕畝、赤羽岳王、蒲原ひろしなどがいます。
句は「引っぱれる糸まっすぐや甲虫」「野に出れば人みなやさし桃の花」「生涯に廻り燈籠の句のひとつ」「方丈の大庇より春の蝶」などがあります。新潟に関連のあるものとしては、「砂山にかくるる河口鯊(はぜ)日和」「冬波の百千万の皆起伏」「餅丸めつつ折々になまいだぶ」(鍋茶屋にて)などがあります。笹神村「山びこ通り」の句碑は「耕牛の一歩一歩の見守られ」です。

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