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中川 孝

(なかがわたかし)

1905(明治38)年11月28日〜1986(昭和61)年9月2日
白山浦(現中央区)で生まれました。旧制新潟中学校(現・新潟高等学校)から旧制新潟高等学校(現・新潟大学)理乙に進学。新潟医科大学卒の兄兼良の急逝によって東京高等歯科医学校(現・東京医科歯科大学)に進学。東京で開業しました。
歯科医として開業のかたわら、白樺派の代表的作家武者小路実篤の研究者として、また武者小路の支援者として生涯を送りました。その仕事の第一は、1951(昭和26)年刊の角川文庫「友情」の解説からはじめて、1986(同61)年、出版の画文集「詩と人生」まで200余編の解説を書いていることです。次に実篤が戦後、進駐軍の命令で原稿が書けなかったときの経済的支援はもちろんのこと、本の出版、原稿料のことなどすべてをまかされていました。「中川に全部まかせる。中川に聞いてくれ」が実篤の口ぐせだったといいます。1925(大正14)年、兄兼良が実篤のやっていた「新しい村」の新潟支部を作ったとき、実篤を新潟へ招きました。そのとき旧制新潟高等学校の学生だった中川は、実篤に会ってその人柄と文学にほれました。兄の影響もあったが、「先生の著作をすべてあつめる覚悟」と当時の日記に書いています。1952(昭和27)年、その蔵書は、「実篤文庫」と著者自身に名づけてもらって、その扁額も書いてもらって杉並の自宅に置きました。
現在は遺言によって、横浜にある神奈川県立近代文学館に蔵書と資料のすべては収められています。没後の1995(平成7)年1月、皆美社から「武者小路実篤−その人と作品の解説」として中川の業績は克子夫人によってまとめられました。

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