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吉野 秀雄

(よしのひでお)

1902(明治35)年7月3日〜1967(昭和42)年7月13日
群馬県高崎市新町46に生まれました。父母は共に新潟県柏崎市の出身。家は織物問屋吉野藤。1924(大正13)年、慶応義塾大学経済学部を病気のため中退。以後国文学を独修しながら正岡子規、伊藤左千夫などアララギ派の歌人に親しみ、自身も作歌を志しました。
1925(同14)年4月、會津八一の処女歌集「南京新唱」を読み、八一に傾倒。その間のことを八一は「友人吉野秀雄」と題して「夕刊ニイガタ」(1947<昭和22>年3月5、6日)に次のように描いています。「私が大正13年12月に、最初の歌集『南京新唱』を出した時に、初めてこの人から手紙を貰った。その頃は、私の歌について世間では目にとめてくれる人もなく、発行所から一銭の印税も貰ふことが出来ないほどであったのに、吉野さんは、集中の歌はどれもこれも、みんな愛誦してゐるけれども、中に2首だけ意味のわからないものがあると、『西大寺の邪鬼』と『三輪山の石佛』の歌をたづねて来たのであった。」これに対する八一の返事は、万巻の書を読んで勉強せよでした。八一と秀雄の師弟関係は、このときからはじまり終生かわることがありませんでした。
秀雄と新潟とのつながりは深く、「新潟日報歌壇」の選者、短歌誌「砂丘」の選評、1970(昭和45)年の県民会館前の歌碑建立「枝堀にもやふ肥舟ほとほとに朽ちしがうへに柳散るなり」とつづきます。歌集に「寒蝉集」、著書に「良寛和尚の人と歌」「鹿鳴集歌解」などがあります。

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