(あがのがわじぞうそん)
昭和に入って間もない頃、新屋敷(松浜本町4)に住む男の子が阿賀野川の深みに嵌って帰らぬ人となりました。この場所は加治川が阿賀野川へと流れ込む水の流れが複雑な流域でした。当時、各家のトイレは汲み取り式で、それを肥料として利用するために加治川に係留した新潟衛生組合の船に積み込み阿賀野川の対岸に運ぶ際、ここで何度も転覆事故が起こっていました。事故で亡くなった人もおり、船頭さん達からは大変な難所といわれていたそうです。我が子を失った父親は、息子の供養と再び水難者がでないようにと願いをこめて地蔵様を建てることにし、それに賛同した有志や新潟衛生組合が、1942(昭和17)年11月に今の地蔵様がある場所よりも少し上流側に建てました。その後の道路拡幅工事などで2回移設され、現在の場所に安置されています。また、台座には建立した人々の名前が刻まれています。
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