(あべはんがのひ)
阿部半雅は1854(安政元)年に樋ノ入の阿部家に生まれた文人です。本名を久平といい、半雅は号です。明治後期から昭和初期に活躍しました。
青年時代に濁川の真嶋塾で学び、詩文を修めました。また、樋ノ入の戸長などの公職を歴任し、地域の人のために尽力。公職から身を引いた後は書画俳諧の道へ進みました。その簡素な生活は良寛に例えられて敬われ、親しまれました。
また、池大雅(1723〜1776)の遺風に私淑し、50歳を過ぎてから本格的に文人画を学びました。山水花卉を得意とし、詩情豊かな作品を残しました。1933(昭和8)年に、79歳で亡くなりました。
碑は1937(同12)年に村人や画友の浄財によって建てられました。撰文、執筆は国文学者の金子彦次郎(1889〜1958)によるものです。
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