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天地人の時代

全国の出来事

 

直江兼続・大国実頼の生涯

 

新潟湊の出来事

       

1520年

高野山清浄心院へ「新方」の人が供養を依頼する。(新潟という地名の初見)。

1551年

上杉謙信、「三か津」に代官を置く。

   

1555年 上杉景勝誕生。

   
1560年 桶狭間の戦い  

1560年 直江兼続誕生。

1562年 大国実頼誕生。

   
       

1564年

「ニイカタ」と京都醍醐寺の僧の旅日誌に記される(新潟という地名の所見)。

1573年 室町幕府が滅亡        
   

1578年

謙信、春日山城で死去(享年49歳)。後継者の座をめぐり、景勝と景虎が対立(御館の乱)。景勝、武田勝頼と同盟。

1579年

景虎、鮫ヶ尾城で自刃。

 

1578年

景虎側についた三条城の神余親綱、新潟町に人質提出を求めるが、新潟町はこれを拒否する。

       

1580年

織田信長と結んだ新発田重家が新潟津を占領。

   

1581年

樋口兼続、景勝の命によって与板城主・直江氏を継ぐ。

 

1581年

景勝、新発田重家攻略の前線基地として、木場城を築く。新発田重家は白山島に城を築き、新潟津の町人を人質にとる。

1582年

本能寺の変で信長が自刃。

 

1582年

樋口与七、景勝の命により天神山城主・小国氏を継ぐ(後に大国に改姓)。

   

1586年

羽柴秀吉、太政大臣となり豊臣姓になる

     

1586年

景勝、新潟・沼垂を新発田重家から奪い取る。景勝・直江兼続、新潟・沼垂の町人の戦功を称し、特権を与える。

 

 

1587年

景勝が新発田城を攻略して越後を平定する。このことを秀吉に報告するため、実頼が上洛。
実頼、石瀬の青龍寺に安堵状を下す。

1588年

景勝・兼続上洛。兼続は豊臣姓を許され、山城守に任官される。

   

1592年

秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)

 

1592年

秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)はじまる。景勝・兼続も肥前名護屋に築城。

   
   

1594年

実頼、京で催された連歌会で執筆役を務める。

 

1594年

景勝が新潟津の代官に、兵糧米の大坂への輸送を命ずる。

1597年

秀吉の朝鮮出兵(慶長の役)。

     

1597年

新潟津の商人が伏見城建築に使う秋田杉を敦賀津へ輸送する。

1598年

秀吉死去。

 

1598年

景勝、秀吉から会津120万石への移封を命じられる。これに伴い、兼続は米沢城6万石の城代、実頼は南山城2万1000石の城代となる。

 

1598年

新潟町が堀秀治領(高田藩)になる。

 

会津藩主となった景勝が、新潟津の代官に兵糧米の京都への輸送を命ずる。

       

1599年

新潟津の商人が松前藩主から船役免除の特権を得る。

1600年

家康、景勝討伐の軍勢を率いて北上。途中で石田三成の挙兵を知り、引き返す。
関が原の戦い。敗れた三成は刑死。

 

1600年

兼続、上杉軍を率いて家康についた山形城の最上義光と戦う。
景勝も家康に降伏する。

   

 

 

1601年

景勝、米沢30万石に減封。

   

1603年

家康、征夷大将軍となり江戸幕府を開く。

       
   

1614年

大坂冬の陣。景勝・兼続従軍。

 

   

1615年

大坂夏の陣 豊臣が滅亡

 

1615年

大坂夏の陣。景勝・兼続従軍。

   
       

1616年

新潟町が堀直寄領(長岡藩)になる。堀直寄が新潟湊の港湾税を免除する。

1617年

堀直寄が新潟町に、新町などの町建てを命ずる。

   

1619年

兼続、江戸で死去(享年60歳)。実頼、出羽に戻る。

1622年

実頼、死去(享年61歳)。

1623年

景勝、米沢で死去(享年69歳)。

   
       

1655年

新潟町が現在地に移転し、堀を完備した近世港湾都市となる。

1688年頃

西回り航路の整備により日本海側最大の港町となる。

1768年

約2ヶ月間武士の支配を脱し町民自治が行われた。

1858年

修好通商条約で開港5港の一つに指定される。