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天地人の時代と新潟湊

景勝勢と重家勢の5年に及ぶ戦いから、
新潟湊の発展がある。

 軍事・交通の要衝として上杉謙信の時代から重視されていた新潟をめぐって、景勝勢と新発田重家勢との間で激しい戦いが始まります。
 兼続は、信長の後の天下人となった羽柴秀吉に臣従の礼を取った景勝のもと、重家に対抗します。景勝は、さらに天神山城主に兼続の実弟の樋口与七を立てるなどして新潟湊を奪還しようとしました。5年に及ぶ戦いに決着をつけたのは新潟湊の町人衆でした。彼らの貢献で景勝・兼続を勝利に導きました。

上杉景勝vs新発田重家 新潟湊の攻防

景勝と重家 湊をめぐる長〜い戦い

御館の乱が終息した翌年(天正9年)、阿賀北の新発田重家が織田信長と提携し、物流の拠点である信濃川・阿賀野川河口部の新潟湊(新潟津・沼垂津)を占領した。これにより、景勝と重家の5年に及ぶ新潟湊の争奪戦が始まった。

 

 

上杉景勝vs新発田重家 抗争の歴史

1581 天正9 6月、重家の新潟津「沖之口」占拠を、竹俣氏が景勝に訴える
6月、信長が重家に海上通路に関する指示の書状を出す
6月、景勝が木場城を築き、蓼沼友重・山吉景長を置く
7月、新潟津の町民が重家に人質を提出する
1582 天正10 6月、本能寺の変で、織田信長が死ぬ
9月、重家が放生橋の戦いで水原満家・菅名綱輔を討つ
1583 天正11 4月、木場城将友重・景長らが本新潟を攻略する
5月、景勝が新発田攻めのため、新潟津に着陣する
1585 天正13 2月、重家側が木場城を攻撃する
1586 天正14 6月、景勝が上洛し秀吉に臣従する。7月、帰国
7月、木場城将友重、三条城将らが新潟・沼垂を攻略する
8月、景勝が新潟津に着陣。新発田攻めをする
9月、秀吉が景勝に、新発田攻めの停戦を命ずる
1587 天正15 4月、景勝が新発田攻めを再開。5月、帰陣
8月、景勝が四たび新発田攻めに出陣、9月、赤谷城攻略
10月、景勝が新発田城を攻略し、新発田氏を滅ぼす
11月、大国実頼が上洛し、景勝の越後平定を秀吉に報告する