
大正2年、木津の破堤箇所を必死で復旧する村人。時には軍隊の出動もありました。 |
何しろ、当時の木津は水害の連続であり、県の水害史にも残る木津切れの有名な地域でした。特に下木津地区は大正2年(1913年)8月28日の豪雨により、賀茂神社前の小阿賀野川の五本榎(ゴヘノキ)堤防が決壊し、死者2名、流失家屋2戸、下木津の全住民は木津小学校の2階に相当期間、避難生活を余儀なくされたということです。このような悲惨極まる水害により、せっかく稲穂が重たく垂れた稲も刈り入れを前に全滅的な打撃をこうむり、農民はただあ然とするばかりでした。その年は病気になる者も多く、水害の後始末などで秋祭りは中止になったそうです。このため、農家の暮らしは苦しくなるばかりでした。この苦しい生活を身をもって感じている若者も、大神楽を買ってもらうという長年の夢をきっぱりとあきらめて、今まで余興のようにして続けてきた棧俵2枚だけの粗末な神楽をもっと立派なものにして、賀茂神社の神楽として奉納しようということで、みんなが集まり、知恵を出し合って作られたのが、今日も伝わる手作りの棧俵神楽です。
この神楽は、水害と闘う苦しい農民の生活の中から生まれた神楽です。お金さえ出せば手に入らないものは無いという現代社会に、お金が無くても創意と工夫でできる、楽しめるというこの棧俵神楽の由来を知ることで、物質文明、飽食時代といわれる現代に生きる私たちに、考えさせられるものがあります。
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