81万人の港町・新潟
篠田昭(新潟市長)
| 皆さん、おはようございます。今日は、新潟市の合併記念事業である、「81万人の港町・新潟」に大変大勢の方から御参加をいただきました。御存じのように、昨年新潟市は2度にわたる合併によって、81万都市を誕生させることができました。本州の日本海側に政令指定都市というものはございませんが、来年の4月1目には新潟市が政令指定都市になって、日本海の拠点性、そして日本海がこれから大きな役割を果たせることを全国に示してまいりたいと思います。 81万都市が誕生して、全国に誇る田園都市と1000年以上の歴史を持つ港町、これが一緒になったという意味はかなり大きなものじゃないかなと思います。新潟は、「延喜式」(えんぎしき)から記載がある古い港町であるわけですが、特に江戸時代には北前船が行き交い、おそらく日本で最も繁盛した港町の一つが新潟であったのではないかと思います。長岡藩の港だったわけですけれど、市民自治の気風が非常に強く、港町のことは自分たちで仕切っていくんだと、多くのことを長岡藩から新潟の町人衆が権限を委譲されて港町を繁盛させ、そのことが結果的に長岡藩を潤したという関係であったと思います。信濃川、阿賀野川という二つの大河が江戸時代中期までは合流していたわけですが、この流域からとれるお米が新潟湊に集まり、北海道からの海産物と併せて大坂、江戸へ運ばれて行く西回り航路が開発され、その最大拠点が新潟であったのではないかと思っております。そういう港町で、市民自治の気風、全国、世界に開かれた港。当時は鎖国の時代だったわけですが、外国からの産品も新潟湊に上がっていたようであります。 |
江戸末期に抜け荷、密貿易が摘発され、そのために天領になったわけですが、それによって、ということがあったと思いますが、開港5港の一つに選ばれました。開港したのは安政の五カ国条約、1858年に締結されています。それからちょうど150年後、2008年に日本でG8主要国首脳会議が開かれます。開港5港は他にもあるわけですが、とりあえず私どもと横浜がサミットを共同して誘致しようと運動しております。これからの150年、おそらく東アジアの時代が続くでしょう。150年前に近代化の幕を開けたわけですが、この150年を振り返り、これからの150年を展望する、そんなサミットを横浜と行ってまいりたい。東アジアの時代の中で日本がしっかりとした役割を果たすには、太平洋側だけでなく日本海側が重要な役割を果たす必要があると思います。
| どちらが表、どちらが裏とは申しませんが、江戸時代、北前船が行き交ったルートが最大の物流ルートであったと。今は中国の沿海部と韓国の釜山(プサン)、そしてアメリカの西海岸をつなぐところが世界最大の物流動脈になっているわけですが、この大動脈は日本海を走っており、私は既に日本海時代が始まっていると思っています。ただ、環日本海時代にはなっていない。対岸を含めて物流大動脈へのアクセスが弱いわけです。これでは東アジアの時代に日本が大きな役割を果たすことは難しい。経済にとっても大変な損失になります。一刻も早く環日本海時代を実現させ、日本が東アジアの中でしっかりとした役割を果たしていく。その先導役をわれわれ日本海側の地域が果たしていきたいと思っております。 このシンポジウムでは5人のパネリストの方々から舟運についてお話があり、午後からは記念講演を原直史先生からしていただきます。その後、サミットという形で、日本海沿岸の北前船のゆかりの地の市長が集まって、これからのことについて語り合います。大変、長丁場の構成ですけれど、ぜひ最後まで御参加いただくことをお願いしまして、あいさつとさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。 |
| 目次へ | 次へ |