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新潟市内の義経伝説


判官と弁慶(高橋郁丸 画)
判官と弁慶 (高橋郁丸 画)
源平合戦で活躍した悲劇の英雄,源義経(1159〜1189)。
彼は,木曽義仲を討ち,平氏を壇ノ浦(下関市)で滅ぼしますが,鎌倉にいた兄・頼朝と不和となり,その追及を逃れて奥州平泉(岩手県)へと向かいます。
義経の生涯を描いた軍記物語「義経記」には,「勧進帳」で有名な安宅関を越えた義経とその家来・武蔵坊弁慶らの一行は,直江津から舟に乗り,寺泊に上陸。国上山・弥彦山を経て「九十九里の浜」から蒲原の館を越え,「八十八里の浜」,荒川の松原,岩船,瀬波を通って念珠関(鼠ケ関)を通過したと記されています。
この「九十九里の浜」は角田浜から信濃川河口にいたる砂浜,「八十八里の浜」は信濃川から荒川河口にいたる砂浜のことでしょう。
義経一行は,海岸沿いに北上して奥州へ向かったと考えることができます。

このページでは,新潟市内に点在する義経伝説のうち,主なものを紹介します。


 石瀬の庚申塔 (新潟市石瀬)

弁慶(白根の大凧)
弁慶(白根の大凧)
 弥彦山の北に連なり,古くから信仰の山として知られた多宝山。その麓の石瀬には,高さ2メートルほどの自然石で出来た庚申塔があります。この庚申塔には,弁慶が腰を掛けたという伝説があります。
 地元の古老の話では,子どもの頃は石が横に寝ていて,その上に乗ってよく遊んだそうです。また,村人がこの石に縄を掛けて動かそうとしても,石はビクともせず,縄は切れてしまい,動かそうとした人たちが病に倒れたともいわれています。
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鍍金装笈(市指定文化財)
鍍金装笈(市指定文化財)

 弁慶の笈摺 (新潟市石瀬)

 石瀬には,天平8(736)年に行基が開いたという青龍寺があります。山岳信仰で栄えたこの寺には,「弁慶の笈摺(おいずる)」と呼ばれる笈があります。笈とは,修行僧などが仏具や衣類を入れて背負う脚の付いた箱のことです。弁慶が背負っていたと伝わるこの笈は,金銅で鍍金され,打ち出し模様や毛彫り模様で飾られた豪華なものです。
 この笈は,その技法・文様から16世紀後半に作られたものと考えられ,「鍍金装笈(ときんそうおい)」の名称で岩室村の指定文化財になり,合併により,新潟市の指定文化財に引き継がれています。
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 判官舟かくし (新潟市角田浜) 判官舟かくし(市指定文化財)
判官舟かくし(市指定文化財)
 角田山の稜線が日本海に突き出した角田岬の上に,真白く塗られた灯台があります。その真下に,「判官舟かくし」と呼ばれる海食洞穴があります。入口から大小2つに分かれる洞穴の奥行きは,大きな洞穴が28メートル,小さな洞穴は14メートルです。この洞穴は,昭和42年に巻町の名勝に指定され,合併により,新潟市の指定文化財に引き継がれています。
 伝説によれば,文治3(1187)年3月,平泉へ向かう途中の義経一行が,この洞穴に舟とともに身を隠したといわれています。「判官(はんがん)」というのは,義経が就いていた官職にちなむ通称で,「判官びいき」の「判官」のことです。
 また,角田山の山頂には弁慶が投げたという鉢巻石があり,「べんけいの投げ石」と呼ばれているそうです。
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角兵衛獅子
角兵衛獅子

 角兵衛獅子と義経の免許状(新潟市月潟)

 月潟に伝わる郷土芸能として広く知られている角兵衛獅子。かつて各地を巡業していた親方たちが大事に秘蔵していたのは,義経の免許状でした。
 文治元(1185)年3月,奥州に向かっていた義経一行は米山(柏崎市)の薬師堂で休息していましたが,天候が急変して辺りに霧がたちこめ,道に迷ってしまいます。そこに通りかかった角兵衛獅子の一行が悪魔退散の踊りを奉納したところ,霧はたちまち晴れて,義経たちは無事に山越えをすることができました。
 この功績をたたえ,義経は弁慶に全国巡業の免許状を書かせ,角兵衛獅子の親方に与えたのだと伝えられています。
 義経が奥州に向かったのは,文治3年のことなので,このことは事実ではないのかもしれません。しかし,巡業で各地を旅する芸人たちが,奥州へ向かう義経一行に思いをはせ,心の支えにしていたことがうかがえます。
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 神明神社のテンポナシ (新潟市坂田)

佐潟
佐潟
 赤塚の神明神社にあったナシの大木は,人に化けるといわれていました。地元の人たちは,そんな「テンポ(嘘)」の話があるかというので,この木を「テンポナシ」と呼んでいました。
 義経一行がこの地を通ったとき,赤塚の中原家がいろいろと世話をしました。そして,いつしか中原家の娘は義経に恋心を抱くようになります。しかし,義経一行は奥州へと旅立ってしまいます。
 娘はこの別れを悲しみ,テンポナシの木で首をつって死んでしまったと伝えられています。
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瑞光寺の「不転観音」 (新潟市西堀通3)

 西堀通3番町の瑞光寺には,欅の一木造で平安時代前期の作と考えられている木造菩薩立像(新潟県指定文化財)があります。この像は作風などから,宮城県築館町にある双林寺の木造薬師如来坐像(国重要文化財)の脇侍として作られたと考えられています。
 また,この像は「不転観音(ころばずのかんのん)」とも呼ばれています。言い伝えによれば,奥州平泉の藤原忠衡がこの像を父・秀衡からもらい受け,この像を倒して転ぶか転ばないかで戦の吉凶を占ったため,その名がついたといわれています。忠衡は,父の遺言に従い,平泉に落ち延びた義経を最後まで守ろうとしましたが,義経を討った兄・泰衡に殺害されてしまいました。
 この像は毎年7月10日に公開されます。
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木造薬師如来坐像(薬師庵)
木造薬師如来坐像
(薬師庵)

 藤戸神社のいわれ (新潟市松崎)

 松崎の薬師庵には,平安時代後期制作されたと考えられている木造薬師如来坐像(新潟県指定文化財)が安置されています。その隣にある藤戸神社は,鎌倉時代の武将・佐々木盛綱が戦勝を祝して創建したといわれています。この神社には,義経一行にまつわる伝説があります。
 義経一行は松崎の辺りで村の娘に道を尋ねます。娘は彼らが鎌倉から触れが回っている義経一行であることに気づき,そのことをうっかりもらしてしまいます。それを聞いた弁慶は,「素性を知られた以上はいたし方ない」とその娘を切り捨ててしまいました。弁慶に切られた娘を哀れに思った村人たちが,その霊を祀ったのが藤戸神社であるといわれています。
 「藤戸」という神社の名は,藤戸(倉敷市)の戦で漁師を口封じのために殺した佐々木盛綱が,そのことを後悔して漁師を供養したという謡曲「藤戸」の物語に,弁慶に切られた娘の話が似ていることから名付けられたのだそうです。
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 安古左衛門と太夫黒 (新潟市太夫浜)

安古左衛門の地蔵
安古左衛門の地蔵
 太夫浜には「安古左衛門(あんこざえもん)」という地名があります。この地名の由来となった安古左衛門は,かつてこの辺りきっての長者であったといわれており,彼が信心したという地蔵が太夫浜霊園の近くに祀られています。
 義経一行は,安古左衛門に一夜の宿を借りようとしました。しかし安古左衛門は,鎌倉からの知らせを聞いており,その申し出を断りました。さらに安古左衛門の手下は,義経を捕らえようと夜討ちをかけますが,逆に追い散らかされました。この時,安古左衛門が持っていた太夫黒という馬が,主人の指図を聞かずに義経に従い,その愛馬となったといわれています。
 太夫黒については,別の言い伝えもあります。もともと義経の愛馬であった太夫黒がこの地で死んだので,この浜を「太夫浜」と呼ぶようになったというものです。太夫黒の墓は,諏訪神社の境内にある五輪塔だと伝えられています。
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判官舟かくし(高橋郁丸 画)
判官舟かくし (高橋郁丸 画)
注意
 このページにつきましては,以下の点を御了承ください。
 このページの内容はあくまで伝説を素材としているため,史実と対立したり相互に矛盾することがあります。
 このページに掲載されている文化財は,いずれもかけがえのない貴重なものです。見学に当たっては,マナーを守って見学してください。また所有者等の都合によっては,見学できないときがあります。
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